N.Kさん
2016年――。
世間が「君の名は。」で盛り上がっているその頃、私は「医学部への道はどこだ!?」と右往左往していました。個人的な事情(いろいろあった)から医学部を目指すことになり、「よし、まずは予備校だ!」と鼻息荒く探し回った結果、たどり着いたのが、有楽町線・麹町駅からすぐの医学部専門校、そう、あの「河合塾麹町校」でした。
ところが。
ええ、まさかの「入塾テストで門前払い」。
つまり、学力が低すぎて入れてもらえませんでした。
まるで「帰って、出直してこい!」と言われたような気分です。私のハート、粉々。カケラ拾いながら自問しました。「こんな自分でも本当に医学部なんて行けるのか…?」
そんな迷走モード全開の中、ネットの荒波をさまよい、半ば都市伝説のような希望を抱きつつ出会ったのが――四谷メディカル。
面接で「ほぼ初学なんですけど、それでも医学部いけます?」という不安満載な質問に対して、校長と事務局長は「全然いけます!」とニッコリ。あの時の笑顔、まぶしかった。もう、ここに賭けるしかない!と、四谷メディカルでの生活がスタートしました。
四谷メディカルの雰囲気はというと――明るくて、でもちゃんと緊張感もある、絶妙なバランス。
校長は、生徒全員に細やかに気を配ってくれる“四谷の母”的存在で、雑談から受験の重い悩みまで、なんでも相談できる安心感。校長のおかげで、予備校全体がほんわか温かい空気でした。
さて、数学。
私は藤田先生と浅見先生というツートップにお世話になりました。
藤田先生は、謎すぎる私の答案(本人も何書いてるかわからない)を解読し、「この思考の迷子っぷりはここが原因ですね」と即分析。答案のリハビリからはじまり、気づけばスマートで洗練された答案に進化してました。
一方、浅見先生は受験数学の裏技マスター。
どんな無茶ぶり質問にも「あるよ」と答え、浅見プリントなる禁断の書(まとめプリント)を授けてくれました。これがめちゃくちゃ使える。これさえあれば、ほとんどの入試問題が捌ける!…気がする!
英語はというと、田中先生の鬼課題×超戦略コンボで、英語苦手マンだった私が、なんとか受験の土俵に立てるまでに育ててもらいました。
さらに後藤先生の英語テストは、ガチで恐怖。単語帳の隅っこの単語まで出てくるから、暗記の鬼にならざるを得ない。おかげで、勉強習慣も根性も手に入りました。
そして極めつけが面接。
超絶陰キャ&ネクタイ初心者の私を、「面接15分をなんとか無難にこなせる人類」まで引き上げてくれたのが事務局長の大星さん。発声練習から姿勢、会話内容まで、細かく丁寧に指導してくれました。ほんと、社会復帰プログラムかと思った。
どの先生も共通していたのは、「どんな質問でも、どんな小さな不安でも、真剣に誠実に向き合ってくれること」。この安心感が、途中で心が折れかけた僕の支えになってくれました。
もし当時の私に一言かけられるなら、こう言いたい。
「大丈夫。四谷メディカル、マジでなんとかしてくれるから。」
先生方、本当にありがとうございました!
医学部進学を目指し始めたのはいつ頃ですか?そのきっかけは何ですか?
2016年頃
東京医科大学に進学を決めた理由は何ですか?
元々関東圏の大学志望であり、都内かつ利便性に優れている
平日 | 休日 | |
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10h | 14h |
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(6h) | (6h) |
医学部の受験勉強を、本格的に始めたのはいつ頃ですか?
2016年頃
受験勉強の中で「一番苦労したこと」はなんですか?
運動不足に陥る&過食で肥えること。 都度運動&ダイエット。
入試情報をどこで集めていましたか?参考になりましたか?
予備校
担当講師・担任からのコメント
他の生徒よりも年長者のせいか、いつも寡黙でどっしりとした雰囲気の生徒でしたが、話してみると茶目っ気もあり、むしろお笑い芸人寄りの性格であったのを覚えています。本人曰く予備校内では、周りが自分に抱くであろう年相応の落ち着いた雰囲気をあえて演じていたそうです。受験勉強のほうは持ち前の「大人力」でブレることなくやることはキッチリやり続け、確実に合格をもぎ取った典型例でしょう。医学部受験における多浪差別のハンデと不安を抱えながらも、そのプレッシャーを撥ね退けよく頑張りました。今後おそらくは研修医の段階で風貌はベテラン医師の貫禄風格を醸し出している姿が目に浮かびます。見た目と合致するよう医道研鑽して良医になられてください。