西島 槙哉さん
担任の先生だけでなく、事務に座っている方々全員がとても親身になって受験生に寄り添ってくれるところが、受験という不安な期間においてとても心の支えになっていました。また、授業に関しては、個人の成績や苦手分野に合わせて、各教科の担当の先生が授業設計をしてくださるので、自分で勉強計画を立てることが苦手な自分にとってはかなり心強かったです。
医学部進学を目指し始めたのはいつ頃ですか?そのきっかけは何ですか?
医学部を目指し始めたのは高校二年生の冬ごろからで、気胸という病気になって手術を体験し、医師という職業の魅力や、自身の無力さを知ったことがきっかけです。
関西医科大学に進学を決めた理由は何ですか?
国公立志望ではあったのですが、私立では関西医科大学に進学したいと考えていました。関西医科大学は、関西の私立医学部の中で一番学費が安く、家からも一時間程度で通えるからです。
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医学部の受験勉強を、本格的に始めたのはいつ頃ですか?
高校三年生
受験勉強の中で「効果を感じた」オススメの勉強法を教えて下さい。
自分の解いた問題の横に、その日の日付と、解けたか否かのマークを書いておき、日を開けて何度か解き、解けたマークが3つ溜まるまでその問題を解き続けるという方法はとても有効だと感じました。どの問題をいつ解いたか、その時解けたのか、が一目瞭然であり、また日付がたまっていくたび、自分の勉強量に自信を持てたりするのでお勧めです。
受験勉強の中で「一番苦労したこと」はなんですか?
浪人中一番きつかったのは親からの重圧です。切り替えは大事だと思っていたので、予備校では勉強を頑張り、家に帰ったらリラックスしようと決めていました。しかし親の目からは浪人生が毎日くつろいでいるようにしか見えなかったのか、母親の視線がとても怖い日々を送っていましたが、気にしないように思いっきりくつろいでいました。親を安心させる方法はいい成績を取ることしかないし、そのために家での休息は必要だと考えていたので、周りの視線に左右されず、自分の重要だと思うことは貫くようにしていました。
受験期はどんなことにストレスを感じていましたか?その対処法は?
やはり大学に入学し遊んでいたりする友達を見たり、通塾中に楽しそうにしている一般人を見ると辛くなりました。なので、2か月に1度ぐらいのペースで高校の時の友達とご飯を食べに行ったりして発散していました。
入試情報をどこで集めていましたか?参考になりましたか?
担任にしつこいぐらい聞いていました。不安になったら担任に雑談交じりに入試情報を聞きに行き、参考にしていました。
面接試験での「その大学ならではの質問」を教えてください
愛知医科大学 人が本当に自由を感じるのはどういうときだと思いますか。
愛知医科大学 破っていい約束はあると思いますか。
最後に、これから受験する方々へのメッセージやアドバイスをお願いします。
僕はいわゆる落ちこぼれでした。医学部なんて到底行けないような成績で、周りからも無理だと言われていましたが、見返してやろうと自分一人でがむしゃらに頑張るも成績が思うように上がらず、多浪が決まった時は自信を失っていました。たまに講演や激励にやってくる医学部合格者は名門進学高校出身者ばかりで、平凡な自分にはやはり無理なのだと思っていました。そんな僕でも医学部に入れました。メディカルラボは、医学部受験のプロフェッショナルの方々が、いつでも声を掛けられる場所に朝から晩までいます。自分でどうしたらいいのか分からない、勉強しているのに成績が上がらないという僕と同じタイプの人は、せっかく通っているのなら、そこの大人を存分に使ってください。自分に自信のない受験生の皆さん。落ちこぼれの僕でも行けたんです。諦めずに勉強を続ければ、あなたならきっと合格できます。
担当講師・担任からのコメント
入校時、西島くんの偏差値はもうあと一歩で医学部合格に手が届きそうという段階でした。ただ、これまでの学習や模試成績を詳しく確認してみると、細かい知識に抜けがあったり、差がつくような難易度の高い問題には完答できていなかったり、補完すべき要素がいくつか出てきました。また、計画的に学習することが苦手ということで、事前に各科目の担当講師と相談し、いつまでに何をすべきか具体的な計画をたて、毎回の授業でも確認してもらいながら指導していきました。先生と1対1の個別授業で信頼関係を築きつつ、質問解決室も積極的に活用し、毎日朝から晩まで熱心に取り組んだ結果、盤石な基礎力と入試レベルの問題にも対応できる実践力を養成することができました。不安を抱えることもありましたが、毎月の面談で合格した生徒の成績や過ごし方を伝え、比較し励ましながらサポートしました。見事合格できたのは、西島くんのひたむきな努力の結果だと思います。