朝比奈沙羅さん
メディカルフォレストについては、最初は父がインターネットで見つけてきてくれました。メディカルフォレストの校舎は実家や柔道の稽古場から通いやすく、スタッフや先生たちが自分にあった個別の対策をしっかり考えてくださるとのことだったので、お世話になることにしました。
どうしても柔道の日程の関係から、勉強に充てられる時間がイレギュラーになってしまうので、そうした状況にもちゃんと対応してもらえたことがよかったです。先生たちの日程を私に合わせていただいたり、スタッフの方もしっかりバックアップしてくださってとても有難かったです。遠征で通学できなかったときは、タブレットを渡してもらって、映像授業を受けたり、インターネットで個別指導をしていただきました。学習スケジュールを作成してもらい、課題を与えてもらったり、次来るまでにやるべきことをしっかり決めてもらったので、計画的に勉強することができました。また、メディカルフォレストは他の予備校とは異なって、年に2回マネキンを使用した、医学部の講義でも実際に行う心肺蘇生などの実習に参加することができて、医学部へ入るモチベーションがよりアップするだけではなく、受験を乗り越える意義も再認識することができました。
私はほかの人と違って特殊で、中学の頃から全日本の強化選手に入っていたので、時間の関係から断片的に勉強してきたせいで知識が虫食い状態なんです。わかるところはわかるけど、わからないところが全然わからないという状態なので、予備校に通って集団授業で一から勉強しな直すのは、時間的に効率が良くないと思っていました。メディカルフォレストでは、先生が自分に合った内容を組み立てて、自分の弱点を集中的に穴埋めしてくれたのでとても助かりました。それと、メディカルフォレストに来るまでは編入やAOがあることを漠然としか知らなかったので、自分に合った試験を考えて探していただいたことも良かったです。編入には編入の対策があり、AOにはAOの対策があり、医師になる権利を得るために試験ごとに具体的に何をすべきか、をきちんと教えてくれたことはとても大きかったです。ただ勉強を教えてくれる予備校ではなくて、この私が受かるための方法や戦略を教えてくれる、そういう予備校がメディカルフォレストでした。
編入やAOは数学や理科の融合問題を扱う自然科学の問題を出題してくる大学が多いんですが、東海大学を一般受験した際、英語と数学と物理だけ勉強していたので、化学はまだしも生物の知識はまったくなかったんです。ただ生物の授業を受けるにしても、自然科学に出題されそうな生物に特化して先生から教えてもらったりしてました。びっくりしたのは、試験の3日前にやった問題がほぼそのまま出題されたことがあって、先生たちは過去の試験情報からしっかり傾向分析しながら教えてくれていることを実感しました。
興味のある診療科は、自分のキャリアを活かすなら整形外科、父から教わったことを考えると麻酔科、子供が好きなので小児科なんですけど、まだ知らないことが多いので、これから幅広く視野を広げてから決めていきたいと思います。
医学部進学を目指し始めたのはいつ頃ですか?そのきっかけは何ですか?
両親共に医療従事者で、小さいときから自然と医学には興味をもっていました。日常がまさに医療の現場だったので、毎日そういう現場にいることで将来は医師の道に進むのものだと感じていました。
小学2年のとき、当時アテネオリンピックで鈴木桂治選手が自分より大きな選手を投げている姿をみてあこがれるようになり、柔道をやりたいと自分から思うようになりました。そして、将来はオリンピックで金メダルを取るんだという謎の自信をもって練習していました。ほかにも、3歳の頃から水泳を始め、バスケットボールやエアロビクス、そろばん、ピアノなど、いろいろな習い事をしていました。と同時に、親からは医師を目指して勉強もしっかりやりなさい、と厳しく言われていたので、中学校や高校に入ってからも勉強は真面目に取り組んでいました。
大学受験を目指した高校3年のとき、夏休みには柔道の練習をたくさんしていたので、その分冬休みに1日11時間くらい勉強を続けた結果、ストレスが溜まったり、心身のバランスが崩れ、バーンアウトしてしまいました。小さい頃から親からは医師になるためにがんばるんだよって言われ勉強してきたこともあり、本当に自分が医師になりたいのか、真剣に悩むこともありました。それでも、目の前の受験まではがんばってやってみようと気持ちを切り替え、なんとか受験を乗り越えました。結果的に東海大学医学部には落ちてしまい、帰りの電車のなかで人目もはばからず号泣してしまい、自分は本気だったんだなと実感しました。そのときに、今回はダメだったけど、将来は絶対に医師になるんだっていう強い気持ちが湧いてきました。
大学2年のとき体育学部から医学部に編入しようと考えて、勉強は続けていました。ただキャンパスが都心ではなかったので予備校にも通えず、大学の授業のなかで英語の勉強を中心にがんばっていました。大学3年になってからメディカルフォレストに通うようになり、学士編入の受験を視野にいれて勉強していました。大学入学以降、ずっと国際大会の遠征が続いていたので、大学卒業後の4月から帰国の期間と学士編入試験の受験可能な大学を照らし合わせて、複数の学士編入試験を受験しました。ただ学士編入はレベルがとても高くてなかなか合格することができませんでした。連戦連敗で、合格発表を見ることすらストレスになっていました。またダメかな、と随分落ち込みましたが、チャレンジしなければ成功もない、という自分自身の信条と父や望月さんからの叱咤激励もあって、自分を奮い立たせました。そんな中で、獨協医科のAO入試を受験することになり、ダメもとでチャレンジしたら合格できたので、自分でもびっくりしました。
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医学部の受験勉強を、本格的に始めたのはいつ頃ですか?
高2の2学期
受験期はどんなことにストレスを感じていましたか?その対処法は?
私が受験期にバーンアウトしてしまったことがあったように、ずっと思い詰めてこれだけがんばろうって思いすぎるとダメになってしまいます。私の場合、柔道の息抜きが勉強だったし、勉強の息抜きが柔道みたいなところがあったので、自分の気が休まることやリフレッシュも楽しむ余裕も必要だと思います。いくらまわりからがんばってと言われても、最後は自分しか自分を動かすことはできないから、完全にストップする前に、ときにはゆっくり走ったり、ご褒美を与えたり、自分の気持ちをうまくコントロールしていってほしいです。
入試情報をどこで集めていましたか?参考になりましたか?
すべて予備校です。AO編入の情報をたくさんいただき、本当に助かりました。
最後に、これから受験する方々へのメッセージやアドバイスをお願いします。
日本だと一つのことを頑張るのが美学とする傾向があるようで、柔道している人からはオリンピックを目指すのによそ見するのかと言われたり、医学の人からは医学部をなめるなと言われたこともありました。でも、自分のなかでは小さい頃から両方がんばるのが普通だったので、同じように何か二つのことを両方がんばって努力する人が少しでも増えてくれたらうれしいです。もちろん、身体的とか物理的にできないこともありますが、基本的に物事は、できるかできないかではなく、やるかやらないかだと思ってるんで、できなくてもチャレンジすることに意味があると思います。周りの目や常識にとらわれたり、自分の限界を自分で決めたりしないで、もっといろんな可能性を自由に広げていってほしいです。私はずっと勝負の世界にいたので、勝つも負けるも全部自分の責任だったんです。勝ったときはもちろん周りのサポートを受けながら自分ががんばったからだし、負けたときは自分のやってきたことのどこかに反省点があったはずだと思うんです。もちろん、プロセスより最後は結果がすべてなんですけど、かりに結果が伴わなかったとしても自分のなかでやりきったと言えるように努力してほしいです。よく言うんですけど、自分の人生には自分で金メダルをあげてほしいから、どんな結果になろうとも、自分で全力を出し切ったと胸を張って言えるようにがんばりましょう!!!